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９．豊橋で目覚める
朝だ。列車は順調だ。とはいえ流石に熟睡とはいかなかった。まず早朝４：２３豊橋駅着でいったん目が覚めた。「ムーンライトながら」はここで発車の４：５５まで３２分間停車する。この間に後発の増発列車「大垣行き」が追いつき追い越す。３分はやい４：５２に発車するのである。
ここでホームを降りて背伸びをする客や、飲み物を買ったり煙草をふかす人は多い。俺も目は覚めていたが自由席の身ゆえ座ったまま隣のホームの「大垣行き」を眺めていた。あちらも乗客は結構多い。
豊橋から先は浅い眠りと目覚めを繰り返していたが、突然デッキの方から大声が聞こえてきた。やはり一晩デッキで夜を明かすと苛立ってくるものなのかと思ったのも束の間、大声の主が「なん〜みょ〜ほ〜れんげきょ！」と叫んだ。酔っているようにも思えたが「コイツはただの苛立ちとは違うぞ」と直感した。
10．煩悩を捨てろ、やすし（※曲を聴くにはここをクリック）
名古屋から先は降りる客も増えるが、ソイツはデッキで立ったり座ったりして出口をふさいでいる。文句を言う客には怒鳴り散らし、誰も相手にしないときは「死んだらええんや。なん〜みょ〜ほ〜れんげきょ！」と念仏を唱えている。なんとも不気味なヤツだ。もし小田原で遅れをとっていたら、俺たちはまともにヤツとデッキで夜を明かしていたことになる。まさにガチンコ勝負。人間性云々と言っている場合ではない。
とりあえずセーフティーゾーンにいる俺たちは、ヤツを“やすし”と名づけた。他の乗客へのカラミ方が横山やすし師匠を思い起こさせたからだ。正確にはダウンタウン松本人志が演じる“やすし君”なのだが。
大垣駅に到着した。とうとう俺たちもやすしの側を通って降りなければならない。終点ではあったがやすしに降りる気配はない。電車の出口に座り込み、自分の荷物をひとつずつ車外へ投げている。やすしの格好は僧侶を思わせる。なるほど念仏も納得だ。荷物を投げるのはきっと自分の煩悩を捨て去る儀式なのだ。そうにちがいない。だから荷物は１０８あるに決まっているのだ。わけはわからないが。
俺たちが下車するときはまだ３０アイテムくらいを投げ出したところだった。やすしの一挙手一投足に注目していたかったが乗り継ぎまで時間がない。後ろ髪を引かれる思いでそこを立ち去った。頭の中では「おこるーでやすし。おこるーでやすし。かーずやはまだゆめのなか」というやすし君のフレーズがしばらく消えなかった。
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